~意識の継承~
時代は明治時代。私の曾祖父の眞道は、徳島県麻植郡鴨島町飯尾で生まれた。祖父の眞道は、青年期に高野山に入り、釈雲照(しゃく うんしょう)の下で、真言宗の基本的な必要科目を学ぶ修行「加行(けぎょう)」を受けたと記録されている。
釈雲照師に特別な尊崇の念を抱く人の多くは、「戒律」に興味がある方であろう。私もその一人だ。「戒律(かいりつ)」とは、修行僧の規律や行動規範などを記した重要科目であり、修行を円滑にすすめる必須の規則ことである。じつは、私自身も戒律に縁があってスリランカ仏教に入門したのである。
私が20代前半の頃に、放逸・酒豪と、粗雑な性格な人ばかりに出会ったが、よく考えれば、そんな偏った性格の人ばかりの出会い自体が、じつに奇妙不可思議であった。私は、そのような人々に出会う度に、嫌気や、隠遁生活への意識が強くなり、遂に、解決策として行き着いた先の書物が戒律書であった。
私が戒律に興味を抱いたきっかけとなった「経験と接点」の内容は、たまたまである。私の経験は、後に体験する重要な結果の立場から見ると、経験は戒律への意識が芽生える為の「必要な通過点」であっと確信している。
私の胸の内には、「「経験と接点」に対して、遺恨を抱いてはいけない」という教えがある。
このように考えられるに至ったのは、偉大なスリランカ人師匠・チャンダラタナ師から教えである。師は、「結果を知るには原因の本質を知れ」とよく教えてくれる。これは、ブッダの言葉「物事には原因があり、結果がある」という「因果応報」の正しい解釈のことだ。
自分自身の現在を観る度に「過去の経験は必要な通過点」と考えると、全ての過去の経験に遺恨は何も起きない。いや、むしろ、20代に出会った、様々な性格の僧侶達が、私にとっては偉大な教材に思えるほどだ。
我がスリランカ人の師匠チャンダラタナ師は、突如として現れた外国人の私を、なぜ受け入れてくれたのであろうか。今なお、無駄なことは一切語らない偉大な師匠の胸の内には、私との初対面で、仏縁の接点を感じてくれたのであれば、私はこの上なく嬉しい。
日本の仏教宗派、高野山真言宗の僧侶である私が、スリランカでも正式に僧侶になる以前に、一人だけ、同じ道を歩み足跡を残していた人がいた。その人は、明治時代から大正時代にかけて活躍した高野山真言宗の僧侶、釈興然である。
釈興然は、スリランカ仏教史上、日本人として初めてスリランカで僧侶になった偉大な方である。釈興然がスリランカに渡った大きな理由は、叔父の熱心な薦めと伝えられている。その釈興然の叔父というのは、「釈雲照」である。釈雲照は、先述にあるように、私の曾祖父・眞道の「加行」の師匠なのだ。
釈興然は、叔父の釈雲照師に「本物の戒律を求めよ」言われて、明治時代にスリランカに渡ったとされている。史実の足跡を読むと、首都コロンボに船で入港し、ヒッカドゥワへ移動し、スマンガラ師と出会い師事したようだ。また、その後に、更に南下して「カタルウェ」という場所へ移動し、最終的にはキャンディ市に構える、ダラダー・マーリガーワ・ウポーサタ・ビハーラ受戒堂で具足戒を受戒し、国家が認める正式な僧侶となっている。
まず、「カタルウェ」という場所は、南部ハバラードゥワ町とアハンガマ町の間にある小さな地区であるが、私、阿部が所属する僧院の町は、アハンガマ町なのだ。この史実を基に、私の師匠チャンダラタナ師に、かつて日本人僧侶が居た話を聞いたことがあるかどうか質問したことがある。すると師匠は、「100年以上も前だったと思うが、カタルウェという町に居たという話を、先代から聞いたことがある。たぶんアスギリヤ派だろう」と。私は飛び上がって喜んだ。
私の曾祖父の眞道、その師の釈雲照、その甥の釈興然。日本人で初めてスリランカ僧になった釈興然が、私の居るこの町に居たという史実に、偶然ではなく、重要な意味が含まれている仏縁があると信心で確信するのは、決して間違いではないと今でも思っている。
明治23年、釈興然が、日本人としてスリランカで初めて正式な僧侶となるにあたり、「具足戒」という戒律を受けたお堂は、スリランカ中部キャンディ市にある「ダラダー・マーリガーワ・ウポーサタビハーラ(仏歯寺受戒堂)」である。明治23年から、時は118年後の平成20年に、高野山真言宗の僧侶で、スリランカの「ダラダー・マーリガーワ・ウポーサタビハーラ(仏歯寺受戒堂)」で正式な僧侶になった二人目が、私である。
私が思うに、118年の間に、もしかすると、スリランカで僧侶になった先人はいたかもしれない。居たらいいなと期待して思うくらいだが、仏歯寺の具足戒許可を管理する許可堂の記録帳には、釈興然師と、私の他に記録は無いと言っていたから、おそらく間違いはないであろう。
私の偉大な師匠チャンダラタナ師は、度々教えてくれることがある。お釈迦様のことを知る力や、仏教に縁があるという理由に学識量は関係なく、現在の自分の意志と、過去の人生経験全てに因ると言っている。自分が何者かを考えるなら、生まれを誇ることもなく卑下することもなく、生きている今に意味があるという教えに、私は何度も励まされている。
誰もが、自分自身は、前世の「誰か」の意識を受け継いでいると思うのは、仏教徒にとって重要な計りである。例えば私自身には、歴史有る大寺院を継承する縁もなく、計り知れない知識量を伝える学者のような縁もない。私には、そういう類いの意識の継承はないのははっきりしている。
これは、全ての僧侶に言えることであり、その人の現在の状況は、その人にしかない貴重な意味ある縁なのだ。私にある大きな縁は「スリランカ仏教」と「真言宗」という2つの縁である。
私の不思議な足跡を見ると、スリランカ人の偉大な師匠チャンダラタナ師は、私と初めて会ったとき「縁がある」と思ったのかもしれないと、私は、信心で観て思っている。偉大な師匠との縁と、仏教の戒律つながりで、前世のまたその前の、いや、そのもっと前から、どこかの、だれかと出会い、意識を繋ぎ合ってきたのかもしれないと、私は縁を確信している。
私が次にすべきことも必然と既に答えがでている。「仏縁の継承」だ。いつの日か、私も命は尽きる。命尽きるその前に、「スリランカと真言宗」という同じ道を歩む、次の真言宗の僧侶を育てたいと目標は定まっている。
前世からの意識の継承、いつかの前世で「仏縁を継承しよう」約束をしていたのなら、未来きっと「彼」が、現れるだろうと胸を膨らませる。
偉大なるお釈迦様
偉大なる尊者達よ
ありがたや
※写真 具足戒を授戒する阿部
於:ダラダー・マーリガーワ・ウポーサタ・ビハーラ