毎月21日は、弘法大師の日

11:00~13:00 お斎 精進けんちん汁

開門 7時~ 
閉門 就寝まで

檀家、宗旨宗派かんけいなく、どなたでもお参りできます

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精舎の授戒講堂には、主監の阿部が四度加行(しどけぎょう)中に、使用した弘法大師の御影の掛け軸をかかげています。

「加行」。けぎょうは、修行僧が覚りに至るための基礎的な準備行であります。準備行であっても、基礎、いわゆる根本を整える意味があります。衣食住に至るまで、自分の思い通りだった様式を捨てて、本格的に師に従います。教学や作務にに関する質問は当然できますが、「反抗・拒否・師と議論」というのは受け付けません。これが重要であり、自分を正す絶好の機会において、修行者本人の従来の常識や偏見を壊す必要があるのです。

壊れなければ生成されない

主監である私は、そのように感想を持っています。自分の師となってくださる師匠は、徳(功徳・善業)において自身より遙かに優れたる方であります。輪廻転生して人と生まれ、なおかつ世尊の教え(仏法)に出会えて、なおかつ、それを教えてくださる機会にある。その様な方は偉大であり、最大の敬意をもって、接するのです。

注がれる水は、受ける器が揺れていては水は取りこぼし注がれない。

こういった理論と同じであります。修行僧は、素直で、賢明で、力を抜いて、忍耐で師からの教えを受けるのです。

忍耐は、体罰的な忍耐でありません。自己の偏見や、従来過去からの塵芥のような煩悩に接して怒り、逃げ、不平不満など揺れ動く気持ちに対する忍耐であります。

さて、偉大なる比丘、修行僧であり、菩薩であり、覚者であります弘法大師空海さんは、西暦835年(承和二年)の3月21日に、寿命力が尽き、身肉体をお捨てになられた。

これを医学的には亡くなると表現しますが、私たち仏教徒は瞑想されたまま請願をもって寿命力を終えられた状態を信仰と敬意をもって「入定(にゅうじょう)」という言葉で表現します。

輪廻解脱せず、苦しむ人々を救うために、あえてこの世に留まられてる偉大なる比丘修行僧であり、菩薩であり、覚者である弘法大師さんに対し、時を隔てず、いつまでも信心を寄せています。

精舎では、毎月21日を「弘法大師の日」として、昼の食事(お斎)で、精進けんちん汁を用意し、参拝の方の心身を休めていただく機会を設けています。

精舎の授戒講堂にお参りして、めいめいに供養や祈りを捧げてください

※写真 高野山 伽藍