和尚の小話:努力の人たち

我が国が幕末から明治にまたがる時代に活躍した真言宗の僧侶の代表格には、釈雲照と、その甥子の興然がいます。

私の曾祖父は明治時代初頭の生まれでして、曾祖父の修行記録を見ると釈雲照を師と仰いで、真言宗の基礎的修行である四度加行(しどけぎょう)を行っています。

釈雲照の甥子の興然は、明治19年(1886年)にスリランカへ渡り僧侶になっています。確認できる公式記録上、日本人で初めてスリランカで僧侶になった方が釈興然となっています。

私の談話録でも過去に書いてますが、スリランカ仏教(上座部派)でお坊さんになるには二段階の課程があります。

一段目は入門して僧侶になる「沙弥(しゃみ)」という立場です。この立場をわかりやすく表現すると見習い僧と言えばわかりやすいでしょう。沙弥(しゃみ)は、入門のハードルが低くわりと誰でもなれます。

二段目は「比丘(びく)」です。わかりやすく説明すると、比丘は見習い僧から更に、努力、知力、責任力、目的意識がランクアップする僧侶の立場のことを指します。比丘になるにはハードルが極めて高く、スリランカでは国家試験と同様の位置づけで適性試験が存在します。

適性試験の内容は勉強すれば誰でも通過できますが、適性試験に臨む資格を得るための、推薦状の取得が最も難しいわけです。

たとえば私の場合、推薦状を取得するために5人の推薦状をいただきましたが、すべて重鎮の長老との面接でした。無言で会って長老から見られるだけという面接もありました。すべて予想外の特殊な面接でしたので、スリランカ仏教が学力や知識力よりも遙かに宗教心、信仰面を重視している証でしたね。

ほかに説明すると長いのでやめておきますが、とにかく第二段階へすすむ比丘になることは、とても大変なのです。学力、年齢、国籍、財力など全く関係なく「人間の質」を見られるのですから、なんとも文章では表現しにくいほどの難しさがあります。

そんな事情があるスリランカ仏教において、1886年にスリランカへ渡って比丘になった日本人の釈興然は相当大変な苦労だっただろうと推察します。平成の時代に入門した私からすると「明治時代に諦めず、へこたれずによくぞ居らした」と本当に深く敬意をもって感心します。

すごいことですよ。

ほんとに、一日の普通の生活をするだけでも簡単ではないのです。

私は、それまで甘い人生を送ってきたので、大変すぎてあっという間に胃に穴が開く胃潰瘍になりましたからね。

さて、興然の足跡記録では興然の他に三名の日本人も渡航して僧侶になったとありますが、三人の日本人がどこの寺院受戒堂で、何年何月に比丘になったと公言できる証書に関する記録が見当たりません。ただし僧侶になっていることは間違いないと言っていいでしょう。

興然以外の他の三名の日本人が、比丘なのかそうではないのか、細かい記録が世に広く出回らないというのは不思議だなと思います。証書が存在するはずだと期待していますが、次代の日本人のためにも留学しに行ってるわけですから、比丘になったかどうかの重要な記録が簡単に見つからない点が不思議に思う一つです。ただ、私の調査不足の可能性の方が圧倒的に高いだろうと思っていますがね。

いずれにせよ、あの時代にスリランカへ渡航した日本人達の勇気や気概は素晴らしいですね。

皆が「自分の努力は人のため、道のため」と信念をもっていたことが重要な伝記だと思います。

ところで私の場合は平成19年(2008)6月6日、キャンディ市仏歯寺塔頭、マルワットゥ受戒堂でスマンガラ大和尚を長老として受戒をした公的書類の「具足戒許可証(ウパサンパダーシットゥワ)」が存在します。私自身の経験をふまえても、釈興然も当然、「証書」を所持していたことは間違いないです。

比丘になれば立場が偉いという考えはスリランカ人にはありませんが、特殊困難な立場である比丘に対して大変な敬意を示してくれますので、一目は置かれますね。比丘になったからと威張る僧侶もいません。そのような僧侶は見たことないです。名誉や見栄だとか、そういった下心あるような卑しい捉え方は全くないのが素晴らしいところです。

私は次代に続く者が現れることを願い、こうした形でも伝えて、自伝も記録を残しています。私の知る限りでは現在の真言宗全般をみても現在、私以外にスリランカ仏教部派に所属する真言宗の僧籍を持つ日本人比丘はいません。

比丘になって日本で活躍するということは、日本の仏教布教に貢献できる一つの素晴らしい手段です。

戒律の細かいことを気にすることはないという結論に自分が達すれば、誰でも外国で僧侶になることはできます。戒律が渡航の壁だと思うなら、戒律が本来どういう役目であるかと、本質を正しく理解することが突破への肝心な点ですね。

閑話休題

昨今、北海道小樽市に在小樽スリランカ領事館が開設されました。

領事館開設に伴い、領事秘書官が和尚のお寺へ表見訪問してくれ、これに併せて関東周辺で在留スリランカ人のための仏教寺院を構えるスリランカ人僧侶二人も来てくれました。

スリランカ人僧侶のお二人は大先輩です。

私の寺がスリランカ仏教も布教している寺院として互いに認めてくれたことは大変有意義で有り難いことでした。こういったことはお願いして認めてくれるものではないので大変嬉しかったです。

同伴の領事秘書官の話では、秘書官と一緒に自国の同郷のために努力する二人のスリランカ人の活動の話を聞き、大変感銘を受けました。

秘書官達は「他人のための努力が自分のためになる」「困っている同郷の仲間をほっておけない」と活躍の話を聞かせてくれました。

努力を怠らず、人のために励むすごい人達だなと深い感銘を受け、心から敬意を表しました。

お釈迦様、大師や尊者達

ありがたや