和尚の個人的動向に関する様々な噂話を確かめたく、直接質問される方が最近多い。
全ての噂話は、まったくもって推察する認識の通りではない。
お寺には、実に様々な身の上事情の方がお参りされる。
他人の人生とは、自身の想像をはるかに超える人生の背景があるものだ。
他人の人生は、じつに理解しがたいものだと思うべきである。
一様の普通と思いたい人生は、誰一人とも送っていないのだ。
あの人は変だと思っても、口にすべきではない
もしそう考えるなら、自分の方がよっぽど変だと思うべきなのだ
和尚の人生は、今も、多くの人々の人生と比べると、よっぽど変であり、普通ではないと感じるであろう
非常識的であろうし、非社会的にも写るだろう
この生き方が憎らしく腹立たしく思う人もいるかもしれない
普通ではないと思うなら、その他人の人生には加わるべきではない
不平不満と憎らしさを感じる時間は、人生の損である
和尚には生きている時間の分だけ生きている目的がある
人によっては全く理解できない、微塵も共感もできないような目的が和尚にはあるのだ
配慮願いたい
お寺には長い時間休まれる方、何度も足を運ぶ方、決まった曜日に来れる方、それは様々である。
和尚は親族や旧友と行動することもある
加えて和尚は、寺で語られた方々の人生の秘密を知っている。語られた全てえの極秘の内容は、ノートにも書き残さず全て記憶として残している。
そのため、和尚は、毎日極めて慎重に行動している。
布教のため出向くこともあり
お世話になっている方のところへ出向くことも当然ある
肉屋、魚屋、八百屋、飲食店、小売店、病院、どこにでも行く
寺に誰が来ているか気になる気持ちもわかる。
だが、人には知られたくない事情を抱えている人は、自身が思う以上にたくさんいるのだ
お寺に来るひとは一人の方が多い
寺に来るだけの、人生の事情があるからだ
昨今、しきりに持ってくる和尚の個人的動向への様々な全ての噂話は、推察する認識の通りではない
寺にお参りに来る方、これまで来てくれた方、これからも来る方、これから来る方の秘密と、心の拠り所となる寺の役割のために、格別の配慮を頂きたい
噂話は綺語(きご)であり、誰においても人生の役にもたたないのだ