仏教談話を習慣として

仏教用語に「結集」とある。(けつじゅう)と読む。
正僧侶(比丘)達があつまることを意味する仏教用語。

5人以上の僧侶が「結集」された状態を「僧伽(そうぎゃ)」と言う。サンスクリット語では、samgha(サンガ)だ。
その状態になることで、規律を制定したり、様々な仏教儀式が行えるのだ。

お釈迦様在世の時に、この方法が誕生した。仏教布教には5人以上の僧侶達を集めることを大事としたのだ。

つまりこの世、この場所、その場所に、僧侶5人さえいれば・・・最低5人だけでも残れば・・仏教は生き続ける。

スリランカ仏教史に於いても、日本仏教史においても、5人という数字が極めて重要になっている。

スリランカ仏教と島史。極めて古い書物『ディーパヴァンサ史』には、スリランカ島に、仏教を運んだ一行は、マヒンダ師を含む5人の僧侶、イッティヤ比丘、ウッティヤ比丘、バッダサーラ比丘、サンバラ比丘と、スマナという名前の少年僧(沙弥)と、パンドゥカという名前の男性付き人(寺おとこ=優婆塞)だったそうだ。一行の長老であったマヒンダ師は、六神通をつかって、ミヒンタレーの山頂に足跡をのこした。ランカ島は、時に、デーヴァーナン・ピヤティッサ王の時代であった。

そんな一行を喜んで守護神となろうと約束したのが、アショーカ王の守護神でもあった、インドラ神(帝釈天(サッカ))である。帝釈天は大威力、大神通力で、無事にスリランカ島へ届けたそうだ。

島史の話はここまでとして・・・

最近は、親しい仲間、信徒、恩師、僧侶仲間と話す機会が増えている。何か地に足がつく前触れのようでとても嬉しい。そして、皆素晴らしく、仏教徒が仏教談話を親しく、楽しく広げるのは習慣となれば、なおさら幸せなことだ。

持仏の大日如来を、塗りの厨子に入れると、やはり僧侶が寺に収まるのと同じように、とても良い。私自身は、まもなく寺造りが始まるが、自分より先に、如来、菩薩、神々には先に屋根のあるところに、収まっていただきたいと思うところに、信仰の楽しさを感じる。

※写真 持仏  塗の厨子(仏像などを収める箱)と、大日如来座像。これらは秘仏ではない