和尚の小話:ついつい。まあまあ。

和尚さんが考えていることです。

朝の除雪が終わり、食堂でコーヒーを飲む時間が朝の楽しみとなっています。

朝のコーヒー入れは、自分で実況しながら入れております。

ホーローのマグカップを温め、カリタのナイスミルカットに豆を入れ、挽き具合を3番にセットして豆を挽く。挽いた豆をペーパーに入れ、ユキワのステンレスポットに熱湯をいれたら、蓋に親指をかけ、数滴お湯を垂らす。ふわふわとコーヒーの香りがたつ。それで、ようやく目が覚めると・・・。

コーヒーが入れ終わると、先ずは、三宝荒神さんへ小さなカップでお供え。ジャラジャラと鈴を振って合掌をする。お釈迦様やお大師さん、先師尊霊へのご飯と水は先にお供えしてあるから、ようやく最後に自分がコーヒーを飲む順番となる。

この、朝の一杯を静かな時間の中、神仏の前で飲めるだけで幸せだなと思うわけでございます。

さて、講堂にて朝のお経を読む準備をし、大壇の前に座って、拝む前にキレイに盛り付けられた香(火舎(かしゃ))を見ると更に気持ちが良くなるわけでございます。

そうすると「今日の汚れ、今日の仕事は、今日のうちに」という、お爺様と師匠から伝わる自身への教訓は、自分のためになるわけだと納得できるわけでございます。

そんな教訓があるのにも関わらず、「食事付き法要の日」の翌朝にやってしまうことが、香(「火舎

」)の盛り付け直しを忘れることです。

食堂、厨房、講堂をビカビカに掃除をして、満足をして一日を終えたはずなのですが、翌朝、大壇に座って、燃えかすが残ったままの香(「火舎」)を見て、「うわっ。「火舎」・・・やってないじゃん俺」と、ブツブツ言ってキレイな朝を迎えられずガックリくる朝が、最近ちょいちょいあります。

いつでも誰かに見られているという気持ちが欠けていたのかなと反省するところですが、昔、先代の爺さま(徳島県出身)が、よく言っておりましたことを、最近こり始めた漫画イラストで表現して、今回はここまで。

お釈迦様、大師ら偉大なる尊者達よ

ありがたや