質のよい幸せを

和尚さんは、10年以上前より『仏教戒律』の本を執筆しています。

(仮名)『入菩提行集律論雑持抄』

執筆作業は、まったく気まぐれで、書きたいときに書き、書かないときは半年以上もほったらかしにしています。

和尚さんは、自分の修行の足跡を次世代に伝えるための、仏教書として『仏教戒律』の本です。これ一冊で、和尚の人生が全てわかります。

仏教戒律というのは、仏教が教える生活習慣の規則のことであり、道徳の指針でもあります。

世間一般的な印象だと、仏教が伝える修行僧の規律はガチガチの厳しいという想像で思いうかぶことでしょう。

じつは、仏教の戒律、いわゆる規則というのは、お釈迦様が在世の時代には、もっとゆるかったと推測されるのが妥当だと、和尚さんは考えています。

いや、これが何でもありという意味の「ゆるい」ではなく、修行をする僧侶の数が増えてくるにしたがって、規則が増えてきたのです。

簡単に言えば「食べ物を窃盗をした修行僧が現れたので、窃盗を禁じる規則が加わった」ということです。また、例えば「人の家庭の女房に手を出したので、禁欲の強い規則が加わった」という由来もあります。

また例えば「俺は超人的な力を持つ僧侶だ!と、ウソを吹聴して布施を搾取した僧侶が現れたので、虚言を禁じる規則が加わった」のであります。この部分を、「戒律」の「戒」の部分を示します。

いやいや、それだけではなく、「修行僧のくせに窃盗を禁じるだけでいいんですか!浮気や不倫の片棒を担いどいて、それでいいんですか」と一般大衆から非難を受けたので、「窃盗をした僧侶は破門する」と、規律を設けました。この部分を「戒律」の「律」の部分を示します。

こういった規則ができた由来からわかるように、もともと、お釈迦様がいらした頃の、初期の修行僧の間には、とくに問題が起きていなかったので、規則も規律も「設定する理由」がなかったのであります。

ですから、修行僧は自分自身が、その人の近しい誰からか、もしくは生来の道義心にしたがって、自由に修行をしていたのだと考えるのは妥当なのだと、和尚さんは考えているのです。

超人的に賢いお釈迦様は、ご自身の影響力を自覚されていたので、修行僧が複数となり、それが大多数となれば、必ず規則、規律が必要になると予見されていました。

それは、お釈迦様が率いる修行集団「仏教教団」の、社会的地位の保全や維持という意味の視点はまったくなく、修行集団の中にいる全ての修行僧達が、互いに、質のよい人生をつくりあげていくために規則の必要性を伝えられたのであります。

人が認識する「私」という一人は、誰にも依存しない「独り」と思っていても、独りは社会の中の一人であることを自覚するようにうながされたのだと、和尚は解釈しています。

お釈迦様が「規則」を設けられたメッセージを、和尚が独自に解釈するとこうです。

一人の修行僧、一人の人間は、けっして独りでは絶対に人生を成り立たすことができない。一人で一生懸命、熱心に、修行をするために、一緒に同じ方向(涅槃)を目指して歩む仲間と、共通の規則を誓い合い、互いの約束を守り、「助け合い」「共感」「協調」を相互理解とすることが、「自らを助け、他を助ける『自助共助』」としたのであります。

お釈迦様は、修行する僧侶たちに対して「一人一人が質のよい幸せな人生でありますように」と願われていたのは確かです。

修行僧同士であるにもかかわらず、他に無関心であったり、同じ方向を向いて励む者同士で、暴力、ウソ、盗み、ケンカ、意地悪、いじめ、があっては、お釈迦様の教えで人が不幸になるという事態にならないよう、お釈迦様は配慮されたと考えるとよろしいかと思います。

お釈迦様の本意は、人間が修行僧であっても、そうでなくても、誰もが「質のよい幸せ」を実現するために、信仰や人種が違っていても、ましてや同じ方向に向く修行僧や、同じ信仰を抱く者同士、また夫婦や恋人、家族、友達、社会全体が共通の規則を共感して、守る努力をしようと教えています。

「人を殺さない」

「盗まない、与えられていないものを取らない」

「不倫や浮気(二股)をしてはいけない」

「人をあざむいたり、欺したりしてはいけない」

「酒や薬物にのめりこんではいけない」

と、

お釈迦様は最も基本的かつ、最低限守る「五戒」として教えているのだと、和尚は考えています。

人間一人一人が、質のよい幸せな人生でありますように。

偉大なるお釈迦様、大師、尊者達よ

ありがたや

【写真】興法精舎の屋根上の仏塔。仏塔はお釈迦様そのものを象徴しています。

スリランカ・サンガミッター尼が植えたスリランカ最初の菩提樹下の土砂、高野山の土砂、スリランカ産出の宝石の原石、白檀・大日如来、五鈷金剛杵、僧侶養成学校の菩提樹の葉、を納めています。頂上は、スリランカ製