和尚さんは考えています。
私達、僧侶には自分に合う師匠が必ずいます。師匠と向き合い、また、同じ兄弟弟子たちと語り合います。その、人と人との対話から、疑問や悩みが解消されていくものです。
僧侶達は、時に黙って、閑かな場所で、じっと考えて過ごします。頭の中は、存在の理論や、意識の流れ、無常観についてなど、哲学的なことを考えていることが多いでしょう。
親族や仲間と楽しむことも人生には必要な要素です。一方で、自分に合った場所で、黙って、閑かに過ごせる場所も、自分の人生には有益に働きかけるものです。
普段、考えもしないことを考えたり、自分の従来もっている、道理原則と全く異なる空間で過ごすことは、自分の人生に疑問や、抱く悩みへの解決へ、有効的な効果をもたらすものです。
寺という空間には、仏陀の「哲学」があります。
空間には、尊者達の教えが他を邪魔することのない残像のようにあります。
和尚は、仏教への質問は、たいていの事は答えます。真言や、スリランカ上座部派の尊者達が伝えてきた「仏法」は、たとて一部であっても、知っている者から、直接に言葉で聞くことに意味があるものだと信じています。
和尚の唱えるお経は、祈願、供養など目的によって、唱える内容を分けています。祈願や供養をして欲しいと願う施主は、今何を欲しているかを和尚の感覚で捉え、想いを巡らせます。
たとえ微たる時間のお経であっても、和尚の身体のあらゆる意識を集中をさせる向き合い方は、和尚の師達からの教えであります。
大覚世尊、釈迦牟尼如来。
偉大なるお方、仏陀の教えが、和尚が生きている間にたくさんの人に伝えられたら幸せであると感じています。
明日、三十日は、施主からの願いを受けている月命日の供養日です。夕刻から夜にかけて和尚は、閑かなこの空間で供養いたします。
お釈迦様、大師、偉大なる尊者達よ
ありがたや
【写真】講堂内、参拝者が休憩する椅子と机