一生の値い

あるとき、和尚さんは考えました。

和尚さんは、朝の読経の時間の前に、必ず瞑想をします。瞑想は、とても簡単で、鼻からゆっくり息を吸い込み、口からゆっくり吐き出します。瞑想をする時間は、ほんの10分少々です。早朝、集中力が定まらない状態から、静止する状態にします。その後に、お経を読んでいると、頭の中でいろいろな思考が巡りだします。長く続けていると、お経の功徳も相まって、さまざまな効能が生まれてきます。

和尚は「執着(しゅうちゃく)」について考えました。例えば人が、殺し、盗み、ウソをつく、不倫と浮気をするのは、その人が過去に何からの「いちじるしく満たされない」状況を経験するところに原因があるのだろうと考えていました。

そこで和尚は、自分の周囲で起きていることを例に、知りたいことを分析をします。これを、事の観察と表現しておきましょう。観察は、頭の中で、事の状況を、たとえば一枚の写真にして壁に貼り付けて整理するように、細かく整理する作業となります。

昨晩の満月会で話をしましたが、瞑想の効能について、私の場合は記憶力が向上したため、とくに興味関心あることについては、記憶が薄れにくいのです。わかりやすくいうと、多く人は、生活上の、ごく普通の営みの記憶というのは上書き型ではないでしょうか。次から次へと上書きをすることで過去は後ろへ後退するはずです。

ですが、私の師匠や、私も同じく、ごく普通の生活の営みも、記憶は整理貯蔵されていきます。例えば、本棚に本が並ぶような状況ですね。ですから、遠い過去のことでも引き出しやすいので、一つの問題や、分析したいことも観察しやすいのでしょう。

こういったことは、仏教瞑想の効果であり、仏教用語では「法力」と表現してよいかと思います。私が特別なことではなく、スリランカの僧侶仲間の間ではごく普通のことです。

自分の人生経験で起きていることを分析する際には、何かと便利ですね。人生の営みや、生活、人生環境を変化させる際に、過去のどのあたりに主要な原因があるかをつかみやすいものです。

一人の人の性格は、なかなか変えられないものです。例えば、つい習性で、平然とウソをついてしまう性格も、一人でいて同じ環境の中にいては、なかなか変えられません。ですが、必ず、よい状態へと変えられます。

師匠は私に言いました。「無理だ。嫌だ。と、逃げ出して文句を言いたいところでも、私の言うとおりにお釈迦様の教えを修行をしていれば、必ず修正できる。頭を剃って姿だけ変えたり、できたつもりで見栄を張ってごまかしたりしていては、かならず逃げだして、元の循環に戻るだけだ」と。

人生に、偉大な僧侶、優れたお寺に巡りあうことは、とても幸せなことなのです。生涯大事にしたいですね。

(写真)スリランカ僧院生活での一枚。少年僧の髪の毛を剃る和尚。