食堂で御接待する食材の多くは、眞弘寺壇信徒の方々からの施しと、近隣の方の施しで受けた「施された品」です。その中には、お寺参りに来てくれた方が、祭壇のお釈迦様や、お大師さんなどにお供えしたお供え物も含まれています。
私は、時々、「托鉢」(たくはつ)という手段で、食材の施しを受けます。お坊さんが檀家さんの家に出向いて、食べ物を頂くことを、仏教用語では「托鉢(たくはつ)」と言います。
お坊さんが、檀家さんから施しを受ける手段「托鉢(たくはつ)」は、お坊さんにとっては食材を頂ける有難い機会です。
一方で、食材を施す側の檀家さんは、食材や物品、ときに金品を施すことで「功徳を積む機会」として、善い行いができる機会であるため、檀家さんにとっても有難い機会です。
施された品には、一粒の米でも、ひとつの野菜でも、願いと祈りが込められています。そのため、人の想いが込められた信仰が込められているのです。例えば、「家族の病気が治りますように。」「苦しいことが終わり幸せでありますように」「先祖代々や、亡くなった身内の供養のために」「遠くにいる大切な人の幸せのために」などの意味も込められているのです。
そのため、お坊さんが、檀家さんから施しを受ける手段「托鉢(たくはつ)」では、最低限の大切な4つのルールがあります。スリランカなどの仏教国においても共通のルールです。
1、お坊さんは檀家さんに、檀家さんはお坊さんに「ありがとう」と御礼の言葉を言わないことです。なぜなら、お互いに御礼を言うための施しではなく、自分の功徳の為であるからです。御礼の言葉を言わないルールは、初めて托鉢の機会に接する方にとっては、奇妙に感じますが、自分が善い行いをする自分の為の機会ですので、じっくり考えてみると、理に適った考え方なのです。
2、托鉢をするお坊さんは、檀家さんの家を選ばないことです。たとえば、行きやすいから、行きにくいから、などの理由で訪れる「家」を選びません。
3、午前中であることです。午後はお互いに忙しいからです。
4、生き物(家畜の鶏や、生きてる魚など)、お酒、タバコ、危険薬物などは、受け取れません。強いては窃盗品なども含めます。
さて、私は、時々、托鉢にでかけます。檀家さんからは、たくさんの食材の施しを受けることができます。ありがたいことです。お坊さんが托鉢にでかけて、いただいてきた食材を使用して、食べる方の幸せと健康を思いながら、カレーや、うどん、その他の御接待品を調理しています。
食材があること。食べられること。さらには、気持ちよく、心地よく、安心して食事を頂けることは、ほんとうに幸せでありがたいことです。
お釈迦様。お大師さま。偉大なる尊者たちよ。ありがたや。
(写真)檀家さんへの「托鉢」で受けたトマト。割れてないトマトは日々の御接待に使用し、残りは切って冷凍保存しました。次回のカーレの日に使用します。