和尚の小話「僧侶は旅をする」(前編)number 2-1

昔の偉いお坊さん達は、旅をしていた。中国の偉いお坊さんである玄奘(げんじょう)さんも、真言宗の開祖の空海さんも、歴史に残る偉いお坊さん達は皆旅をしていた。「旅をする僧侶の原点」というべき方のお釈迦様は、自分の家や寺というものを持たない自由かつ、無所得な方であり、40年間旅を続けてこられた「旅の達人」である。

お釈迦様の訪れた地のほとんどは、信仰上で重要な「遺跡(いせき)」となり、生まれた地「ルンビニー」、覚りをひらいたときの地「ガヤー」、初めて布教をした地「サールナート」、涅槃(寿命を終えた地)「クシナガラ」は四大遺跡と言われ今に伝わる。中国の偉いお坊さん、玄奘(げんじょう)さんは、孫悟空が登場する「西遊記」物語となり、後の人々に語り継がれ、空海さんにいたっては「四国八十八カ所霊場」となっている。

私はこう思う。偉大な尊者達の旅のつれづれ、きっとこう想ったに違いない・・・「きっと、その先に、探しものがある」と。

私が27歳の時だった。大きなリュックサック一つで、東南アジアを旅行したことがある。旅行中、方位磁石とガイドブック『地球の歩き方』を手に私はビルマ(現・ミャンマー)に向かった。目的は、出家を受け入れてくれる寺を探すことと、仏教遺跡巡りだった。当時、私が初めて訪れた時のビルマの国の、私が感じた雰囲気は「無害な地」。パーリ語で言い換えて表現すれば「アヒンサカ」だ。

「無害な地」。その感じた意味は、人々の間に、奪い、嫉妬、怒りというのが感じなかったことが理由だ。人の心の善い部分が町をつくっていたため安心感が漂っていたといえば、わかりやすいかもしれない。

私は、この時以来、ビルマに訪れていないが、近年訪れたことのある人から旅の感想を聞くと、いまなお安心感の漂う国で、人々の国民性が素晴らしい国だと聞く。

さて、私は、ビルマに到着してから次の目的地、中部都市マンダレーまでの移動距離は700キロ近くあったため、夜行バスに乗り、20時間以上は移動した。「とにかく疲れた」くらいが車内での思い出だが、夜明けの4時半くらいだっただろうか、運転手の休憩地でもある「ドライブイン」に立ち寄った。

座位のまま、長時間の乗車に疲れた乗客達は、待ちかねていたように車外へ出た。その場所は、たまたま上高地だったようで、気温は5度くらいだった気がする。「うほっ・・・さむいな」。ビルマに来る前、タイの土産屋で買ったシルクのオレンジ色のショールを二重三重に巻いた。

ドライブインはカフェだが、細いパイプ椅子に、雑多な造りの木製の机。朝早くから忙しく勤めるも、お店の従業員達からは実直さも感じた。全体が、あるものを使うという無理のない生き方を感じる造り。店内の裸白熱球の下では、湯を沸かす湯気が上がり、茶と、なにやら食べ物を売っていた。湯気立ち上るセイロで何か蒸しているようだったので聞いてみると、「食べるか、食べないか。食べるなら席について」と身振り手振りで応対する忙しそうな店主。

バスの運転手は、休憩時間は15分だというから私は注文して席についたのだった・・・

(続きは、後編へ)