お釈迦様は、2563年前に生涯を終えられました。私たち僧侶は、お釈迦様に対して、信仰と敬意を込めて、あえて、「死んだ」とか「亡くなった」とは違う表現をしています。それは、お釈迦様や、偉大な修行僧達が亡くなられた場合の「死の意味するところ」が違うため、「死亡」とか「逝去」などのような一般的な言い方と違う表現をするのです。
そこで、お釈迦様が、亡くなられたことを「涅槃(ねはん)」と表現します。
「死の意味するところ」と「涅槃(ねはん)」
お釈迦様が亡くなられたことを意味する言葉「涅槃(ねはん)」は、インドの古典語サンスクリット語では「吹き消す」「消滅する」という意味があります。なぜ、お釈迦様だけ「死亡」と表現しないのでしょう。ごく普通の考えでは、人間が死んで身体の役目が終わってしまうと、それまで生きていたときの「余韻」や「意識の名残り」とか、「残像」のようなものは無いと考えます。もっと、ざっくりと言うならば「死んでしまえば何も残らない」と思うのものです。
ところがお釈迦様は、人間に限らず、命ある生き物は、生きていたときの「意識の名残」のようなものが、死んでも続き、その「意識の名残」のようなものが、また新しい生命の誕生へ引き継ぐと言っています。つまり、再び何らかの、人間を含む生き物に生まれると言っているわけです。
人が「生まれる。死ぬ。生まれる。死ぬ」を繰り返すこと、これを仏教用語で、「輪廻(りんね)」と言います。お釈迦様の場合は、この「輪廻(りんね)」が終わったため、普通の「死」とは違う特別な意味があることを表現するために「涅槃(ねはん)」と言うのです。
お釈迦様は、なぜ、「生まれる。死ぬ。生まれる。死ぬ。輪廻(りんえ)」を終えることができたのでしょう。それは「終えるための手段と智恵」を発見したからです。これを「覚り(さとり)」と言います。
では、どのようにして、その「終えるための手段と智恵」を発見したのでしょうか。この話は長くなるので、また別の機会にお話しましょう。
閑話休題
『涅槃』のお経
我が国では、お釈迦様が80歳で生涯を終えられた日、「涅槃(ねはん)」の日は、2月15日であったと伝わっています。スリランカでは、5月の満月の日と伝えられています。
興法精舎では、2月14日と、2月15日の二日間、お釈迦様への信仰で、お釈迦様が80年の生涯を終えて「涅槃(ねはん)」されたことへの深い弔いの気持ちを示すために、19時から1時間弱ほど、特別なお経で、お釈迦様を供養をします。
お経は、真言宗に伝わる重要なお経です。「理趣経(りしゅきょう)」に、声明(しょうみょう)という独特の音節で読む読み方を加えたお経です。参拝される方は、ぜひ厳かな気持ちで参拝されてください。
※14日、15日の19時以降は、施食・茶菓などのお接待はありません。
◎2月14日・15日 お釈迦様「涅槃の日」
『涅槃(ねはん)』のお経を、真言宗に伝わるお経で
19時~1時間弱ほど
参拝自由