破壇=はだん

和尚さんは考えました。

仏教経典を読むと、お釈迦様は、自分の考えを人に伝えた際に、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という道理を、繰り返し伝えられていることがわかります。

そこで、和尚さんは、「諸行無常」という言葉を、わかりやすく伝えるよう心がけています。

自然界の全ての出来事や、人間が経験する全ての体験、手に取ったり、目にしたりする、物理的なことまで(

生命の活動、生命の寿命、容姿の美しさ、若さ、物質の物理的性格と成り立ち、自然現象(

というものは、

過去、現在、未来という三つの時間帯で分けて、それぞれの時間帯で観察したとしても、全く変化せずに、一定であり、永続しつづける(

という道理は、立証もできなければ、実現もできないため、何も変わらないということは、起きえない(

弘法大師空海さんが我が国に伝えられた「密教」というのは、仏教の内容を細かく分類したうちの一つであり、「密教」を色濃く伝える仏教部派を真言宗といえばわかりやすいでしょう。

密教の特徴は、仏具といわれる特殊な道具や、舎利塔、仏教絵画、造形物(仏像)を用いて、修行者は「観想」、「観念」という特殊な瞑想を実行することで、修行者の智恵の成熟を生み出します。

密教を伝える尊者達は、「密教」の内容を伝える時に、弟子達の精神的な生育状況を見極めて、伝える内容を慎重に選んで伝えています。

人間の心と体のバランスが一致して、なおかつ、知的または精神的な生育とともに「情報=尊者達の優れた教え」を取り入れなれば、人間は、その「情報=尊者達の優れた智恵」に負けてしまうためだと、和尚は教わっています。

自分自身が、「智恵」に負けるというのは、心と体のバランスがもたらす知的精神的な生育が十分でないにも関わらず、高度な「智恵」を知ってしまうと、「智恵」の真意を理解できないどころか、頭の中と心が錯乱したり、間違えて解釈してしまままの固定観念ができてしまうことを意味します。

和尚さんの、偉大な師匠達が共通して伝えることは、「対象物に執着したら誤る」と教えてくれています。「ブッダの像ですら、執着すれば解釈に障害が生じる」と伝えていますが、物を「目的の為に使用すること」「大切に維持すること」と、執着は全く別の心の性質であると言われているためです。

「破壇(はだん)」中の大壇。作り上げたものを、いったん崩す。対象物に執着しないための重要な行程です。

真言宗のお寺には、密教の仏具の代表的なものの一つに「大壇」をそなえています。大壇の上には、数種類の仏具を規則的に配置して、曼荼羅を構成していますが、修行僧達は曼荼羅にさえも執着しないために、大壇の上に配置した仏具を外す行程も肝心であると言われています。

曼荼羅を、いったん壊す作業のことを「破壇(はだん)」と表現します。

「破壇(はだん)」は、美しいもの、好きなものに対して、執着してしまう心の防止策であり、お釈迦様が伝える「諸行無常」の道理を知る手段でもあると言われています。

なお、大壇の上に、仏具を配置して曼荼羅をつくることを「作壇(さだん)」と言います。

偉大なるお釈迦様、大師ら尊者達よ

ありがたや