怪僧の愚言

◎予告「満月会」令和2年1月10日(金)

怪僧の愚言

自分の師匠は釈尊に次いで偉大である。父母というのは尊格が別格であるから信心の対象と比較するというものではないと師はいう。ここであえて、僧侶という限定で思うに…

日本の仏教史においての希代な修行僧、空海。

学生時代、空海伝の基礎を習う。しかし、どうも、仏教思想に基づいた信心の進歩に至らなかった。拙僧はとくに、国宝級の仏像や建造物に囲まれていたにもかかわらず怠惰の極みであったため信心の欠如は自身が原因で、他は見当たらない。

一方、今なお考えることに、密教を正当に伝えた八大祖師について。以下の8人の国籍がこうである

ナーガールジュナ龍猛菩薩インド人
龍智菩薩インド人
金剛智三蔵もインド人
不空三蔵は、シンハラ人(※シンハラ人説は阿部の研究による推察。他説は南インド人)
善無畏三蔵はインド人
一行阿闍梨は華人
恵果阿闍梨も華人
空海は日本人。

伝承者と、国籍の違いの背景が、よくわからんかったのである。何があったのだろう。そして、空海の後は何故続いていない?という疑問もあった。

1~7番目までの大徳については別話題として、空海伝を読めば、大師の説からも知ることができるものの、屁理屈な拙僧としては、他にないと何かものたりない

まず、遣唐船で渡航する動機となった出来事がある

『大日経』の出会い
空海は、南都の久米寺(現・奈良県橿原市久米寺)の、東に位置する仏塔(東塔)の中に安置されていた、『大日経』という、お経に出会う。『大毘盧遮那成仏神変加持経』略して大日経だ。

しかも、いったいぜんたい、なぜ久米寺なのかというと、大師の夢枕に菩薩か如来が現れ、場所を告げたというのだ。

「汝、槙尾山の、久米寺の、東塔の、心柱にあるぞ」と。

このような夢を見ること自体、普通の修行僧とは別格だ。
そして、夢の通り、本当に『大日経』に出会う。

東大寺大仏殿にいる毘盧遮那仏は無言説といって、仏そのものは会話しない。仏教の教え(仏法)を擬人化したものであるため毘盧遮那仏は、会話はしない。その定説とは全くちがい、大日経の大毘盧遮那仏は、おしゃべりする。これには大師空海は驚かれたのであろう。もちろん、他に記載されている内容を追求したくなり、潅頂をはじめとして直接伝授されないと不可解な箇所が多くあった。それの疑義を求められたのだ。

803年、空海は、遣唐船で難波津から出向される。
その後・・・云々 いろいろな史実が展開されているのだが・・

久米寺で大日経に出会うのはすごいことだが、その後の活躍を語る前に、空海という修行僧の、そもそもの仏教に対する信心の萌え芽というところに着眼点を持ちたい

というと、やはり、18歳頃の学生時に、土佐室戸岬で、虚空蔵菩薩求聞持法を行ったことは学者の中でも語気を強めているほどだ。

いわゆる、虚空蔵菩薩の真言陀羅尼のみを、100万回唱える修行。それを詳しく教えた人も何者か不思議であり、それを聞いて一念発起して実行する空海にも驚きだ。

教えた人は勤操(ごんぞう)という僧侶だ。これは定説であるが、他説には、勤操さんではなく、どこかの私度僧ではなかろうかとある。

私度僧というのは、当時国家の管理下で、国家に認められた僧ではなく、ひそかに出家していた自由な修行僧という意味が強い。これ、専門用語では沙門(しゃもん)という。

そんな、どこかの私度僧が空海に、どういういきさつで出会い、修行法を教えたのか…。不思議だ。まさか、道ですれ違ったか、茶屋で、おだんごを食べて休んでいた折に、あれそれと息が合ったのか、、、そんな情緒味あるかんじなのかな。と拙僧の妄想が膨らむ。

空海の自著『三教指帰』には盟友がたくさんいたという記述もあることから、もしかしたら、いちいち説明するまでもなく、学友か、いい出会いがあったのであろう。それだけ博識で素晴らしい学友に恵まれていたのかもしれない。

まあ、私は、勝手ながら、修行法を伝えたのは、弥勒菩薩か・・・いやいや虚空蔵菩薩の当人が現れたのではないかと、信仰信心を盛りだくさんで伝えたい。偉人伝とはこう伝えるものだ

閑話休題

土佐の室戸岬で、虚空蔵菩薩の真言陀羅尼を100万回唱えているときに、大師空海は、拙僧なりにわかりやすく書き下ろすと、こう思われたそうだ。

「こうして修行をしていると、思うのだ。
都で栄える、色形様々な栄華が空しいな・・・
官吏達の上質で軽くて心地よい衣が一体なにがよい・・・
肥えた凜々しい馬に乗って都会の栄華に浮かれて一体なにがよい…
全て無常に消えてゆくのだ・・・
人々の生活環境の都合不都合の苦しみ
どう生きても貧しき人々の苦しさ
悲しく苦しいな~・・・」

というような感じで吐露されている。

この心中の書き残しに、空海は、まさしく仏教の本意に触れたことの証であると思う。かの釈尊も同じく、若い歳で、世の無常さと、苦しさを目の当たりにして修行を始められた。空海も、それと同じである。この体験がなければ、仏教の無常観や、無我観、一切苦とみて臨んで、後の数多の経典を手に研究することは無っかたのではと考える。

同期の歳の者が、都で、普通の流れで生活して中、都を飛び出して、山岳で修行するのだから、他には無い別格の修行僧である。さらっと読み過ぎるような史実ではなかろうと、思う。

はたして空海は、長安の都について、ネイティブばかりいた修行僧の中から、突如として現れた外国人である空海のみ、なぜ両部曼荼羅の大法という秘伝を授かったのか。。。。

これは、すごい事だ

外国で勉強するっていうのは、大変なのだ。現代の渡航と生活が、便利簡単な時代にいる、拙僧のグータラ修行生活でも、大変なくらいだ。

外国で仏教を勉強するのは、大変である。。。

さて、また次回、法話で空海伝を語りたい。

偉大なる尊者達よ。ありがたや

※写真 興法精舎受戒講堂内 八大祖師像  手書き(自筆)