和尚さんはあるとき考えました。
和尚さんは二十代の頃に、日本の仏教界は仏教の「戒律」を、もっと活用して真剣に取り組もうと、強い口調で主張していた酷く態度の悪い時期がありました。
仏教の戒律というのは、修行僧の『規則・罰則・儀礼集』と言えばぴったりです。
そのため戒律には、僧侶の日常生活の規則、罰則、懺悔の方法、師匠や仲間との過ごし方、身なり、儀式集などを細かく記されています。書かれてある内容は、大昔のインドの習慣を時代背景としているため、日本人の感覚からすると遠い国の昔話に感じることもあると思います。
そんな戒律という学問を、和尚さんは二十代の頃に魅了され、熱中して勉強をしてきました。すると、勉強をすればするほど、戒律の内容と、現状の日本の仏教界の矛盾や、ほど遠い状態であること感じるようになりはじめました。
そうなると、二十代の青年期にあった和尚さんは、ますます調子にのりだし、他の僧侶達を批判するようになりました。例えば「理想となる戒律から全く離れていて、お釈迦様の説かれている内容と全く違うではないか」などと、高圧的に主張していた様子は、まるで過激な政治活動か、原理主義者のようでありました。
思い返せば、自分自身さえもまったく実行できていないのに、調子にのって口先だけの浅い知識を振り回していた和尚さんは、そうとう嫌な男で、高圧的で、態度が悪かったです。
当時の自分自身を振り返ると、主張する自身の心の様子は、怒りに感情をまかせ単に「自己に心酔」している状態であったと言えます。
そうして、自分の主張を押しつけ感情的になって他人を攻撃したり、賛同できない人をあたかも敵視するということは、全くもって正しい布教活動でなかった大きな反省の思い出を、よく思い出します。
さて、お釈迦様が説かれるには、人間が信仰、思想、主張を通して、敵と仲間という「分別」をもつと、そこから怒りを増殖させ、争いとなり、あらゆる苦しみを生みだし、怨み、憎しみ、憎悪へと苦の循環へとつながると諭されています。
そのため、私の主張の方法は、誰の利益にもなっておらず、むしろ害になっていた反省は今も大切にしています。
それから、和尚さんは自分の伝えたいことを人に伝える時は、誰かを批判することはやめようと決めました。
自分が伝えたいことを、批判などの攻撃的なことはやめ、また、美辞麗句で伝えることに一生懸命がんばるよりも、自分が目指す目標に向けて一生懸命努力することが、深く根強人に伝わる方法なのだと考えるようになったからです。
浅い知識を自慢して披露のように、口先だけもだめ。
権利を主張して義務を果たさないように、小さな努力、小さな実行すらしないのもダメ。
自分が優位にたつために他の悪口や中傷をするのもダメ。
和尚さんは、寺の厨房で調理しながら考えることは、このカレーは美味しいとか、新鮮な素材だと自慢をして、自分でいくら一生懸命に宣伝しても、料理の内容が悪ければ、人の流れは途絶えるものだと戒めています。
自分の伝えたい布教の姿勢も、同じ理屈だと思っています。
自分の主張を押し通すために、誰かをおとしめたり、批判をしたり、怒りながら下品で暴力的な過激な言葉で怒りを誘い、相手の心を同調させる方法では、伝えたい内容の本質が伝わることは決してありません。
誰かを中傷して痛め傷つけながら人を幸せにすることは決してないのです。
これは和尚さんの反省から思うところです。
閑話休題
戒律という学問は、現代に合わせて解釈を変えていくことは長い仏教歴史の中で大きな課題になってきたと言えます。時の流れ、国の風土、気候環境、民族性、いろんな要素をまとめて考えても、大昔のインドと同じ習慣で修行ができるわけがないのです。ですが、賢い尊者達は時代と環境に応じ、て戒律の運用の方法を自身達で決めて工夫てきたわけです。
和尚さんは、昔の賢い尊者達も見習いながら、自分が伝えたい仏教の布教の方針に熱心に励みつづけていれば、その様子が自然と人から人に、和尚さんのような僧侶が必要な人々に伝わっていくものだと信じています。
お釈迦様、大師ら偉大なる尊者達よ
ありがたや
【思い出写真】
平成22年。少年僧侶養成学校で作務の合間の休憩ティータイム。少年僧と談笑する和尚さん。
(左側の二人)僧侶試験にも合格し各自の寺で励んでいる。(右端)兄弟弟子で今年心臓手術を受けたランジャナ師。今は僧侶学校の教員として励んでいる。
【仏教メモ】
仏教は古来より、三つの学問にグループ分けされてきました。
1、経 スートラ
2、律 ヴィナヤ
3、論 アビダルマ
経は、お釈迦様がお話になられた内容です。教義です。
律は、お坊さん達の修行規則です。ルールブックです。
論は、専門的な解説書です。研究論文集です。
この三つを合わせて、「三蔵」(トゥリピタカ)と言いまして、僧侶達の必須の学習科目です。
三つの仏教学を超人的にマスターしたお坊さんには、三蔵の敬称が付いて呼ばれるようになります。例・玄奘三蔵