和尚さんは考えています。
お釈迦様の教えを、弘法大師さんや偉大な尊者達は伝えている十善の教えは、仏教がどうして人々に共感されたかがうかがえると考えます。
お釈迦様は、物事の結果には原因があり、原因があるから結果があると言われていますが、なにごとにも、結果を証明するには多くの条件、要素があるということです。
ちょっと和尚さんのぶっ飛んだ話をします。
真言密教ではサンスクリット語を表現する梵字を覚りを知るために、あたかも記号のように引用しています。
そのうち「ア」を示す梵字は大日如来と言われ、その内容は、物事の始まりであり森羅万象万物構成の元とも表現すると言いますが、これは、和尚さんが思うに現代物理学でいうところの「原子」のことだと和尚さんは考えています。
仏教の偉大な尊者達は、「ア=原子」を大日如来という仏として擬人化して表現し、万物構成の法則(原子によって成り立つ)があるということを伝えるために、仏法の理論を生かし、なおかつ信仰の力を応用して伝えていると和尚さんは考えています。
もしも和尚さんの説が的を得ているのなら、密教の智恵は、知的斬新で、有効的であり、見事な伝え方だと思います。
ではなぜ「ア」を当てたのかというと、世界の言語学で考えると、ほとんどの文字の始まりは「a」であり、母音も「a」が始まりであります。もっともインド・ヨーロッパ語族に属する、サンスクリット語とパーリ語にいたっても、「ア」が文字、発音の始まりです。
しかもサンスクリット語は、インド文化圏にいるバラモン達、知識階級達の言葉です。
ですから、誰でもわかりやすく、理解しやすく、伝えやすい方法として人間が使う言葉と文字を「伝達手段」「表現の手段」に用いるのは自然な流れだと思います。
お釈迦様の視点の特徴から説明すると、原子ですら成立する条件があると言えるわけで、もはや原子の構成も含め、現象には始まりも終わりもなく、生じるも滅するも、まったくもって、物事には起点も終点も捉えられず、説明できないということでありましょう。「阿字本不生」とか「不可得」という表現がでてくるのも、なるほどと思うところであります。
和尚さんが日頃から思うことに、お釈迦様の覚りの本質を知るためには客観的視感が、大いに役立つと考えているため、とりわけ、あえて信仰の面を切り離して、仏法の本質を考える思考も必ず役立つと試みています。
お釈迦様は「人類の常識ではまったく理解できない、とてつもない発見をされた」ということですから、従来の常識とか解釈慣例などいうものは全く役に立たない「発見」であったと考えれば、これらの和尚さんの説明も有りであろうと勝手に思っています。
現代物理学では、あらゆる物質の成り立ちの根本は「原子」を起点としていると言いますが、万物構成の元素である原子が物事の始まりであるのなら、お釈迦様はそのことを発見したのではないかと和尚さんは期待を込めて考えているのであります。
あらゆる期待を込めて考えても、お釈迦様や、弘法大師空海さんら尊者達は、まったくもって尋常ではない智恵の方々であったと思います。
閑話休題
仏教の教えにある、十善戒の教えは、「人が人となる教え」とも言い、和尚さんは「人々が幸せになる教え」とも表現しています。
人同士、社会が幸せになるためには、そのための要素を整えることが条件となります。なにも努力しないで社会が幸せになるわけでもなく、好き勝手に、わがまま欲望のままに生きても幸せにならないと、お釈迦様は説かれています。
その十善戒の教えを、和尚さんは、フィクション漫画に描いて伝えることにしました。
十善戒のマンガは、いまのところ興法精舎の寺内のみで閲覧できます。配布や販売、電子版で配信も予定はありません。あくまでも寺内や、和尚さんの布教の本として使っています。
お寺へのお参りの際はぜひ読んでみてください。
現在は、不偸盗まで描きあがっています。
お釈迦様、大師ら偉大なる尊者達よ
ありがたや