和尚の小話:お参りしてからお接待

ケーキやお茶、食事のお接待を受けたい方は、講堂にて必ずお参りください

その数ある理由の一つを伝えます

【寺が重要な理由】

スリランカ北中部にアヌラーダプラという大都市があります。約2,400年の歴史を持つスリランカ仏教が最初に栄えた古都です。

アヌラーダプラの名前の由来は人の名前です。スリランカ史は『島史』と言われる三種類の『島史』を根拠としてスリランカの様々な歴史的根拠を伝えています。

その『島史』に仏教伝来の由来も記録されており、スリランカ仏教が最初に栄えた都市「アヌラーダプラ」についても記載されています。

アヌラーダプラの名前は「アヌラー」という人の名前が由来です。プラは、サンスクリット語では通常「最も」「最上の」などという単語を作るさいの意味をもった言葉です。例えば英語に変化していくと「Premium」という単語の最初に「Pr」がつきますが、これも語源はサンスクリット語の「Pr=プラ」です。

素晴らしい何かを表現するときにサンスクリット語では「Pr」を用いて表現する場合が多いです。

では、どうしてアヌラーダプラという都市が「素晴らしい土地」になったのか。それはスリランカで仏教が最初に根付いた場所であるというのが理由です。

前述で述べたようにスリランカの仏教史は2,400年あまりもあります。我が国の仏教古都高野山は1,200年ですから倍の歴史があります。そのアヌラーダプラ市には日本人が想像もしえない巨大な仏塔が幾つかあります。中でも、紀元前90年程前にヴァラガンバ王が建てた高さ75メートルもあるアバヤギリ大仏塔は、日本の仏教、強いては高野山と深い関係があります。

アバヤギリ大仏塔周辺は、仏塔を中心にテーラワーダ上座部派とヴァジュラヤーナ密教派の習合の一大修学地になりました。

じつは時の王ヴァッダガマーニ.アバヤは南インドから侵略してきたタミル人に大敗して山中へ亡命してました。アバヤ王は復権した際にはシンハラ人の幸せの為と復興の象徴として仏塔を建てると誓い将軍セヤの活躍ありアヌラーダプラを取り戻したのです。

時に仏教自体も栄枯盛衰の最中にあり、仏教そのものを再興して世に広める方針をとるようになり、上座部派は北インドで栄えたヴァジュラヤーナ密教派を受け入れて、共に発展する修学地を整備したわけです

アバヤギリ大仏塔の名の由来、アバヤの意味は、いかなる事にも恐れないという意味で、ギリは丘や地を意味します。

私、和尚の師であるチャンダラナタ師は日本の仏教を再び良きものとする為、日本の人々の心の幸せに貢献できるために、スリランカへ学びに来た私を讃えて、僧名にアバヤを引用してシンハラ語へ更に変換してアベィと付けてくれたのです。

師が、アヌラーダプラのアバヤギリ大仏塔の歴史を踏襲しての願いの名前でした。

高野山とスリランカ

アバヤギリ大仏塔は密教(ヴァジュラヤーナ派)が栄えた密教伝播の歴史上重要な経由地です。空海が唐国(現在の中国西安市)より、我が国日本へ密教を伝える遥か前に、密教は確実にスリランカを経由して、スリランカで成熟し、現在の中国西安市に伝わったのです。

アバヤギリ大仏塔の砂が、和尚の寺の中央地中に埋まっています。

そして高野山の砂も、アバヤギリ大仏塔の砂と同じ器に納めて寺の中央地中に埋めてあります

この砂をアヌラーダプラから正当な理由と根拠をもとに日本へ密教派の僧侶で日本人がもたらすことは、極めて難しく筆舌には尽くし難いほど容易ではないのです

すなわち和尚の寺で参拝することはアヌラーダプラのアバヤギリ大仏塔に参拝する功徳と同じご利益が確実にあるわけです

どなた様におかれましても、和尚のお寺へ来たら仏教を伝えてきた偉大な修行僧たちに敬意をはらい、お参りください

これは和尚の仏教布教の重要な願いでもあります。

お参りする方の宗旨信仰の有無は全く関係なく、たとえ一杯のお茶を飲むにしても、講堂で手を合わせてお参りしていただければ、私はとても嬉しいです。