和尚の小話「僧侶は旅をする」(後編) number 2-2

(前回からのあらすじ)

仏門先を探しに、ビルマへ旅をした私は、マンダレー行きの深夜の長距離バスに乗る。明け方にバスは、休憩地の小さなドライブインに寄る。雰囲気のいい店内、店主のススメどおり席につき、注文をした・・・。

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バスの運転手は、休憩時間は15分だと言った。腕時計を見て、私は注文し、席についた。運ばれてきたのは、温かい茶と、大きな蒸した熱々「まんじゅう」。食べてみると、お肉の香りと、丁寧で、シンプルな組み合わせのスパイスと甘辛い味。美味しくて、ここまで移動してきた意味があったようにさえ感じた。

あの味に幸せを満喫したが、それにも増して、穏やかな顔の店主や、働く人々の、落ち着いた動作と顔色からは、嫌々さは全く感じない幸せな雰囲気に、私は浸った。店内には、手作りの小さなお釈迦様の祭壇があった。線香の煙で黒くすすけた具合が、毎日線香を焚いているのがわかる。お供えのカップと、祭壇の天板には、人の手垢がどこかしこに目立つ。毎日、お釈迦様を拝んだ跡の、手垢の馴染んだ具合から、信仰心の深さを感じる。そこの雰囲気と味は、ビルマ人がビルマ人に癒やされる場所だ。

そんないい場所で頂く軽食「そりゃ美味いわな」と、私は、ぶつぶつ小言をつぶやいた。猫背になって、あたたかい茶をすすり、温まっていると、バスの運転手が席を立つのを見て乗客達はバスに戻りだした。ビルマ語を知らない私は、感謝の気持ちを身振り手振りで「美味しかったよ」と伝えると店主は、ニヤっと微笑んで返してくれた。

~『お経』ができるまで~

私は思う。再び訪れることはないであろう、ビルマ、マンダレー近く高地のドライブイン。私には、仏門を求めて旅をしていた頃の、旅の小話だが、もし大昔の人が、後に僧侶になったことを前提とした「僧侶、出家の旅」の記録を残すなら、どのような言葉の表現をするだろうか。

たとえば、お釈迦様はおよそ40年も旅をし、その旅路の人との出会い、人との対話、食事、病気治療にいたるまでの、すべての出来事が、そのまま『お経』の内容となっている。

私が経験したビルマへの旅。旅路の軽食と人との出会いも、「信仰熱心な男によって施された、温かい薬で修行僧は身体を癒やした」とか、「料理人は手ずから、柔らかく温かい食べ物で修行僧をもてなした」とか、私が菩薩になれるのなら「かの菩薩は、身体の不調を取り戻した」とかなるのだろうか。・・・いや、語り草とは、そうであってほしい。

なぜなら、そうした、人の心の情に印象深い「語り口調」で伝えるというのが、信仰の伝承なのかもしれない。僧侶は旅をしたことの「体験談」が、後の人に対しての、信仰の追憶となるだろうと思う。こう思う根拠は、私のお釈迦様に対する信心だ。

「きっと、その先に探し物がある」と旅をして得るものとはなんだろうか。長い時間を経て、あらためて振り返ると、いつのまに探し得ていたと気づくものではないだろうか。

そろそろ再び、旅をしたくなってきた。

和尚の小話  真典