和尚の小話「つたえる力」

和尚の視力が落ちてひどいですわ

疲れかな

疲れでしょ

なんか変かも。。。と感じたので、旭川市内永山に開業した新しい眼科医院へ行ってきました。

最新の設備と丁寧で親切な接客にわくわくしましたね。

ちょっとした治療を受けている時に、看護婦さんから「大丈夫ですよ。がんばってください」と肩をトントンと優しくたたかれながら、励ましていただき安心し、癒やされましたよ。

気持ちがふわ~っとしました

言葉っていうのは、その人の普段から心の中で思ったり、頭の中で考えたりすることが現れるものですね。

ということを前置きとして・・

体裁よく外面良く愛想笑いしたり、好かれようと綺麗な言葉を発しても全く心に響かない人がいるでしょう。そういう人というのは普段から冷たいのですよね。

私の師匠はスリランカ人ですけれど、とっても優しいです。もちろん厳しさもありますよ。優しいからこそ厳しいと言えばわかりやすいかな。私の人間関係の中で圧倒的に厳しい方です。

なんにも怒りません。

まったく人を侮辱しません。

でも最も厳しい方です。

世の中には、会話していてものすごく安心する人がいるでしょ。

師匠はそのような方です。

師匠が茶渋のついたボロボロのカップに、ぬるいお茶を入れてくれても美味しいですし、なにも特別な事を言ってるわけではないのに「しっかり励みなさい」なんてたいしたことない言葉でも、すごく説得力があります。だから全く無駄のない会話が成立します。

なんとなく久しぶりに会ってお話したくなりましたよ。

偉大な人は、自分に自信があるから、ぐだぐだと、くどく語りません。

講釈を並べるとか、ああ、、、ぜんぜんありません。

ふんがふんがと怒って、イライラとモノに当たりながら会話も絶対にしません。

思うに、弘法大師空海という偉大な僧侶も、私の師匠のような方だったと思います。

言葉に力がる、説得力がある人というのは、何か伝えようとするときに綺麗に、美しく、感動させよう、伝えようと見栄張ってまで頑張って伝えてるわけでは無いのですよ。

普段から考えてること、思っていることが言葉に乗るのですよね。

意地悪かったり、せこかったり、自分だけ得をしようと考えている人の言葉は、そういう気持ちに乗った言葉だから、相手も拒絶するものです。

それから、師匠はもしも自分の伝えたいことが伝わらなくても、伝わらなかったら仕方ないや、まあいいや。くらいの程度で考えています。

聞く力が優れてますね。ほんとうに聞いてます。でも、無理に回答しません。わからなかったらわからないと言います。

私の師匠は度々言いますよ「ああ・・そうかい。なんだろね。わからんね」と。

聞く力が備わっていると、私は聞いてますよ。なんて言いませんよ。

聞いていたら、なんらかの行動に移してますから、相手は聞いてくれてるなと言わずと納得してくれます。人と人の信頼関係は成り立ちますよ。

政治家と国民の関係も同じ理屈で成り立つと思いますよ。

さてさて、夏のお盆が過ぎた後に、世の中がよくなりますようにと、講堂内でひとり盆踊りを3分間だけしました。

その御利益があったのか、翌日から参拝者が増えて忙しくてね。

ありがたや

ほなまた