ある日、和尚さんは考えていました。
お参りされる方は皆、講堂で線香を供えてくれます。供養台の前に座り、ロウソクに火を灯し、左の線香箱を開け、一本火をつけます。手に取る線香の数は、祈りたい分だけを目安にしましょう。亡くなった父母の為なら2本、今日の幸せを祈るなら1本と、このように考えてみてはどうでしょう。
線香を供える入れ物を『香炉(こうろ)』と言います。和尚さんの講堂で使う香炉も、檀家さんが施した「供養を願われた供物」です。
「香炉(こうろ)」を施したのは、道内在住の、檀家さんです。
檀家さんは、長年飲食業に携わり、引退後は、最も気に入った食器、数点のみを自宅で使っていました。その後長い時が過ぎ、ご主人が逝去され、弔いの供養として、興法精舎の建立に合わせて「食器」を施される運びとなりました。
檀家さんは、和尚にたくさんお話をされ、食器の良さや、捨てずに使い続けた意味をわかってくれるだろうと、施す想いも託しました。
和尚が食器を手に取ると、亡くなった夫との人生分の想いをお寺に納めたいという気持であろうと感じられました。供養をして納めるということは、過去を消し去るだとか、忘れるということでなく、弔いであります。「弔う」ということは「消す」だとか、「忘れる」という意味は全く当てはまらない「弔う」という気持ちの向き合い方なのです。
檀家さんが供養の弔いで施された食器は数点です。その中の一つ、大鉢を「香炉」として使っています。
大鉢には金魚の絵が描かれており、檀家さんが調理した料理と共に、幾人もの人々に幸せを届けた、生きてきた足跡が伝わる一品であります。
現在、施された大鉢は「香炉(こうろ)」として使用しています。参拝に訪れる方々の、様々な祈りをこめて灯された線香を受ける器でもあるのです。
このように、その他にも、何人もの人々の祈りと、歴史背景が込められた仏具が興法精舎にはあります。
お釈迦様、大師尊者達、檀家さん
ありがたや