あるとき和尚さんは考えました。
お寺の「印(しるし)」は、お釈迦様が覚った内容を整理して、理論として伝えられている「二十四縁起法」を意味しています。お釈迦様が覚った内容をまとめた理論は、広くは「倶舎論(くしゃろん)」として、ひとつの科目にまとめられています。
その中に、「二十四縁起法」があります。「二十四縁起法」は、ざっくり説明すると、人間の意識の流れなどを、あえて二十四種類に「分別」理論化して、さらに細分化した高度な内容となっています。
和尚の経験と調べでは、「二十四縁起法」は、お釈迦様の実際の布教した内容というより、お釈迦様が涅槃(お隠れになられた)後の、後代の時代に、弟子達が理論化したと考えるのが妥当だという説が有力です。これほど極めて複雑にお釈迦様が説かれたのであろうかと、はなはだ疑問に感じるくらいです。
人間の「存在の理論」を哲学として傾注して没頭しすぎるのは、和尚としては薦めません。現実の自分の生活から感じる苦しみや悩み、人の営みから、大きくかけ離れてしまいます。和尚は、哲学に没頭しすぎて、頭の中が混乱した経験があります。
しかし、この理論を排除するのも妥当ではありません。「理論が残った事じたいに、何か意味がある」と和尚は解釈の余地を持っています。
仏教を考える際に、原始的な時代に視点を落とすと、お釈迦様の直接の弟子達は「仏像」を製作していません。ですが、仏教を象徴的に「後代へ伝える」ための手段として、百年以上も後に、造形物が作られるようになりました。
その仏像の先駆けとなった造形物が、牛車の「車輪」です。牛車の車輪が、回転して、ぬかるんだ田畑を進んで行く様子が、「お釈迦様の覚った智恵も、どんな困難な路面状況でも回転して進む」「あたかも車輪が回るように、智恵の理屈や理論は回転しながら前へ進む」などの意味を、車輪で表現したのです。
しかも、牛車の「牛」とは、サンスクリット語では「go」と表します。この「go」が、お釈迦様の俗名「gotama-siddharta」(ゴータマ・シッダールタ)に使われています。
サンスクリット語で、go(牛) と、pratama(最も優れた)を、文法上、掛け合わせる(連声)すると、「gotama(ゴータマ=最も優れた牛)となります。
このような意味合い「ゴータマ・シッダールタ(最も優れた牛)」から、後世の弟子達は、お釈迦様を造形物で表現した際、「牛車の車輪」を引用したと言われています。
お釈迦様が存命されていた時代の頃のインド大陸に住まう修行者達の多くは、宗教的な意味の救済活動というより、個人が論理的で哲学的に考えることが割と前面にでていたという時代背景も後押ししているのでしょう。
その影響もあって、お釈迦様を表現した最初の造形物が「牛車の車輪」となったのかもしれません。もし、修行者達の間で、哲学的な面より、宗教的な救済面が強く前にでていたのならば、造形物の表現も変わったのかもしれません。
後代に、人物像としての仏像が登場するようになります。その頃から、本来のお釈迦様の救済活動であった、人が人を救うという救済面が再び強く前にでてきたのだろうと考えるのは妥当かと考えます。その現れが、人物像としての仏像の登場ではないでしょうかね。
閑話休題
興法精舎の「印(しるし)」は、「二十四輪」を使用しています。24本の車軸のついた車輪です。何のマークだろうと思われる方もたくさんいらっしゃいますが、ちゃんと意味があるのです。
興法精舎の「印(しるし)」の、「二十四輪」には、訪れる方が、和尚の法話を聞いたり、供養をしたり、布施をしたり、仏教に自ら親しむことで、お釈迦様の智恵が、ぐるぐると回転するものだと願いを込めています。その先には、成仏「涅槃」があるのです。
訪れる誰もが、生きて成仏、涅槃あれ。
お釈迦様。尊者達。お大師さん。ありがたや。