令和4年11月20日(日)、道内初「仏教戒律講伝処」をたちあげ、僧侶のために戒律を専門的に学ぶことができるお寺の役割が1つ正式に加わりました。

構想を抱いて以来、足かけ20年目です。

仏教の教えをふくめて、自分の寺だけが発展すれば良いだとか、自分さえ十分に修行でき、自分さえ満足に勉強できればよいという思考は、誰の利益にもならないものだと思っています。

そういった意味から、戒律を勉強したいと志す、仏教宗派に属する全ての僧侶達のための学問処として「仏教戒律講伝処」を立ち上げた運びです。

スリランカ人の偉大な修行僧である私の師匠は言う教えには「戒律は苦の滅尽に至る道であり。それは覚りへの道である」とあります。

戒律はお釈迦様が実際に説法された布教の重要な部分であります。学ぶ重要性は大いにあるものだと考えています。

仏教戒律

仏教の戒律を正しく解釈し、正しく相応しい形で運用するための修行僧自信の決断と運用方法を伝えていきたいです

戒律は遵守することを目的とした教えではありません。

戒律は修行をする僧侶同士が円滑に煩わしくなく修行するための修行僧同士の共通のルールであって、修行僧がいる国、地域、自然環境、文化、習慣を背景として制定し運用されるべきものだと信じています

北海道 仏教戒律講伝処

仏教戒律を学びたいと志す全ての修行僧が対象であり、宗旨宗派の制限は一切ない戒律講伝処です

誰であっても学ぶことができるための仏教戒律講伝処です

上座部派に根付く戒律を学ぶ志をもつ全ての修行僧達のための仏教戒律講伝処です

全ての修行僧と日本の仏教寺院の皆が発展向上し、世の人々の苦しみや悩みに多大に貢献するための仏教戒律講伝処です

仏教には、「受戒(じゅかい)」という信仰の、最も基礎的な習わしがあります。

「受戒(じゅかい)」とは、仏教を開かれたお釈迦様の教えを聞いて、内容を受け入れるために、先ず初めに自分自身の生き方を「戒め」て、「戒め」の通り生きることを誓うことです。

「受戒(じゅかい)」で誓う「戒め」とは、一人の人間が、人間社会の中で、人種、使う言語、年齢に関係なく、誰でも人間として正しく全うに生きるための「生き方と美徳」と考えいただけるとわかりやすいです。

最も初歩の戒めである「五戒(ごかい)」を受ける(受戒)ことで、一人の人は、仏教徒となる意味も含まれています。

「五戒(ごかい)」は、殺さない、盗まない、不倫や浮気をしない、噓を言わない、酒を飲まない。の五種で構成されています。

【「受戒」の種類】

「受戒(じゅかい)」で受ける戒めには、大きく分けて、一般の壇信徒用、小僧などの見習い僧用、成熟した大人の僧侶用の三種類に分けられます。

戒めの内容を更に詳しく分けると、初歩の「五戒」、「満月日」用の「八斎戒」と「十戒」、菩薩用の「十善戒」、ベテラン修行僧用の「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」と別れています。

詳しくは、「戒律」のページからご覧ください。(*現在編集中)

【「受戒」に必要な条件】

「受戒」の儀式を行うためには、必要な僧侶の種類と人数、規律通りに定められた場所が必要となります。「受戒」の儀式の内容は、仏教部派によっと幾分かの差違がありますが、おおむね共通の、「受戒」を行うための必須条件があります。

最も原始的でかつ、必須の基本的な内容は、大まかに分けると次のようになります。

1、「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」という、ベテランの修行僧用の戒めを受けた僧侶の中で、なおかつ、「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」の戒めを受けてから、10年以上経過した僧侶(和尚)が、5名が集うこと。または、1名の(10年和尚)と、4名の(5年阿闍梨)

*簡略的に専門用語を使うと「具足戒」を受けた琺瑯10年の和尚が五人必要。もしくは、琺瑯10年の和尚が一人と、琺瑯5年の阿闍梨が四名。

*「琺瑯(ほうろう)」とは、僧侶になってからの経過年数を数える単位のこと。

2、「律(りつ)」という規則集通りに「結界(けっかい)」された場所であること

【結界(けっかい)】

「結界(けっかい)」とは、「受戒」の儀式を行う際に、誰かに邪魔をされたりせず、儀式に効力を持たせるための守衛のような意味です。境界という意味も含みます。場所の範囲を限定して「受戒」の儀式を行うことで、いつ、どこで、いかにして行ったかを明確にするための手段でもると言えばわかりやすいでしょう。

【結界の種類】

「結界」を成り立たせるためには、何かを目印にして「結界」する場所を定めます。境界を決めるための目印が必要になります。現代の測量技術でいうところの「標柱」です。その「結界」の目印(現代で言うところの標柱)には、幾つか種類があります。

「律蔵(りつぞう)」という、仏教規則集には、「結界」の目印とするために、次の8種類があると伝わっています。

山、石、林、樹、道、蟻塚、河川、水(水路など)

【誰にも邪魔されないための「結界」】

結界を決めても、「受戒(じゅかい)」の儀式を行う際に、誰かに邪魔をされないことが重要です。現実的には、狭い範囲を「結界」するのが合理的かつ現実的です。そのため、8種類の「結界」を規則集では認めていますが、実例として、ほとんどの場合「石」と「樹」と「河川」と「山」を用いています。

では、誰を寄せ付けないかというと、「儀式」を邪魔しようとする人間、悪鬼、餓鬼、阿修羅に特定しています。人間以外の動物に当たる「畜生」は、悪意がないので、入っても構いません。昆虫や鳥、犬や猫が入っても問題ないということです。

また、邪魔者ではありませんが、儀式を正当に成り立たせるために「見習い僧(沙弥=サーマネーラ)」は入ることができません。

【興法精舎の結界は「石」】

興法精舎では、仏教の規則集「律蔵」を根拠にして「石」を用いることで「結界」を定めています。「結界」に用いる石には、奈良県の東大寺戒壇院と唐招提寺の戒壇院を参考にして、「戒場相」(かいじょうそう)と文字を彫り、意味は「受戒をするために必要な、結界石」であることを示しています。

「律蔵」という仏教規則集では、文字や模様を入れる必要はありませんが、親しみ知ってもらうために興法精舎では、「結界石」に文字を彫っています。

寺の本堂や講堂の周りに「結界石」を置く真言宗の寺院は、北海道内でも極めて希です。他の寺院においては「樹木」や「山」を結界としている場合が多いので、他の寺院も何らかの方法で寺院を結界していることでしょう。

【「結界石」は、規則通りの重要な習わし】

石を「結界」に使用する場合は、「結界」をする建物の周囲8カ所に埋めます。古式的にはデザインはなんでも良いのですが、「結界石」と目視で分かる大きさであることが重要です。

そのため、興法精舎では長方形の石を使い、正面の一カ所のみに「戒場相」と文字を入れています。この「結界石」を、伝統的な仏教部派の僧侶が見れば、「受戒」が行うことができる、規則に則った正当な場所と分かるのです。

参考までに、主監の阿部真典も、スリランカ上座部派が伝える「パーリ律・波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」を受戒した講堂にも「結界石」があります。スリランカ中部にある上座部派の総本山「仏歯寺」が管理する「受戒堂」の結界石をご覧ください。

「結界石」(ガル・シーマーワ)スリランカ中部・仏歯寺が管理する「具足戒受戒堂(ウポーサタ・ビハーラ)」の結界石

「結界」をすることは、寺院建築において、とても重要な習わしです。

また、「受戒(じゅかい)」を行い、戒めと誓いに効力を生むために「結界」は不可欠な習わしです。

興法精舎にお参りの際は、ぜひ「結界石」にも注目してみてください。