「お金」のお話(寄稿-2)

今回はお金の話をしよう。

昔も今も、我々が日常生活を送るためには金銭が不可欠である。霞を喰って生きているという仙人でもないかぎり、金銭と無縁で生活することは不可能である。

昨今、仮想通貨という言葉がマスコミを賑わしている。最近、この仮想通貨のひとつNEMというものがインターネット上で何者かに盗まれ、所有していた人々に多大の損害を与えたというニュースが流れた。私自身は仮想通貨というものを扱ったことがないので、実態がよく理解できないのだが、新聞等の解説によると、インターネット上に仮想通貨を貯金しておくシステムであるようだ。通貨として品物やサービスの購入にも使えるそうだが、実際には投機の対象となっており、所有者は所有している仮想通貨が値上がりするのを期待して購入するという。つまり賭博性が非常に高いものであるらしい。

先史時代以来、人間は物々交換などを通じてものを入手してきた。そのうちに金属や貴石あるいは美しい貝など希少価値のあるものが価値を持つようになり、次第に貨幣が発達してきた。江戸時代の日本では金銀などの小判と寛永通宝などのような穴あき銭や藩札と呼ばれる紙幣が流通していた。前者は金銀そのものに価値があるのに対して、後者は現代でいうところの信用貨幣である。我々が日ごろ使っている円やドルなどの通貨は信用貨幣である。実際には紙切れに過ぎない一万円札や百ドル札を価値あるものと我々が認めて、これらを使って品物やサービスを購入することができるのは、ひとえにその価値をそれぞれの政府が保証しているからである。ひとたび政府に信用がなくなったり、政府が崩壊したりするとたちまちその政府が発行している通貨は価値を失ってしまう。アフリカのジンバブエや旧ユーゴスラビア崩壊の際に起こったことを覚えておられる方々も多いであろう。

お金の別称に「阿堵物」(あとぶつ)という言葉があるのを皆さんはご存知だろうか?これについては『世説新語』という逸話を集めた小説集に面白い話が伝わっている。

「阿堵」とは、中国の六朝時代の口語で「この」「あの」というような意味の指示代名詞である。つまり「阿堵物」とは「あのもの」という意味である。

昔、晋時代(3~5世紀)の王衍(おうえん)という人は、妻が金銭に貪欲なことを快く思っていなかった。そのため彼は「銭」という言葉を決して口に出さなかった。昔も今も、概して女性は現実主義者、男性はロマンチストが多いらしい。そこで王衍の妻は夫になんとかして「銭」という言葉を口に出させるために、王衍のベッドの周囲に銭を敷き詰めて歩けないようにせよと召使に命じた。妻は、夫が召使に「銭を片づけなさい」と言わざるをえないように仕向けたのである。しかし翌朝、王衍はそれを見て「阿堵物(そのもの)を片づけなさい!」と召使に命じて、「銭」という言葉を決して口に出さなかったという。金に汚いのはよくないが、一方で潔癖症もここまで来るとやせ我慢のような気がする。

仏教の歴史の初期にも金銭にまつわるお話が出てくる。

釈尊がクシナガラの地で亡くなられてから以後、約一世紀の間、仏教教団(サンガ;僧伽)はひとつにまとまっていたらしい。当時はある時期を定めて仏教教団のメンバーが集まって集会を開き、その席上で釈尊の教えが正しく伝わっているかどうかを確認する作業が行われた。これを「結集」(けつじゅう)という。

当時のインドにはすでに文字が存在していたのだから、文字に書いて記録したほうが、誤りがなくていいように思われるが、インドでは昔も今も、文字に書くと他人が読んで誤解を生ずる危険性があるという理由で、本当に大切な教えは師匠から弟子へ口伝で伝えられるべきであるという伝統が守られている。

※写真↓ スリランカの花。アラリヤ

釈尊の死後約100年経った頃、第二回結集が古代北インドにあった都市国家のひとつヴァイシャーリー(ヴェーサーリー)市で開かれた。

スリランカに伝わる仏教史の書籍『島史』(ディーパヴァンサ)や『大史』(マハーヴァンサ)が伝えるところによると、ヴァイシャーリー(ヴェーサーリー)市に住む比丘(僧侶)が第二回結集の際に唱えた「十事の非法」の問題が原因となって、それまでひとつにまとまっていた仏教教団はふたつのグループに分裂してしまった。これを「根本分裂」と称する。

ではふたつのグループに分裂した原因は何であっただろうか?

「十事」とは、釈尊在世中から行われてきた戒律(教団内のルール)を緩和した十種類の例外規定である。つまり「よいことではないが、黙認してもよい」という行為である。この中に「金銀を扱ってもよい」という条項が入っていた。当時の北インドの都市国家では商業がさかんになり、貨幣経済が浸透してきていたため、僧侶が托鉢などに出ると、食物だけでなく、しばしば金銭を布施されることがあったらしい。この金銭による布施を認めるかどうかが大きな問題となった。これを認める現実派は多人数であったので「大衆部」(だいしゅぶ;マハーサンギカ)と呼ばれた。一方で、この例外規定を認めない厳格なグループは少人数で、長老など年配の僧侶が多かった。長老(テーラ)は「上の座席に座る」ので漢文では「上座」と訳された。この長老派グループは「上座部」(じょうざぶ;テーラヴァーダ)つまり「長老(テーラ)の教え(ヴァーダ)を守るグループ」と名づけられた。上座部ではこの十項目を戒律違反と定めたことから、これを「十事非法」(じゅうじのひほう)と称する。つまり初期仏教教団が分裂する根本原因を作ったのは、ほかならぬお金の問題なのである。

簡単にいうと、この時に分裂したふたつのグループのうち、「大衆部」の流れを汲むのが後に発展し、東アジアの中国や日本に伝来した大乗仏教であり、一方、スリランカ経由で東南アジア諸国に伝来したのが南方上座部仏教である。したがって現在でも、スリランカやタイやミャンマーなど東南アジア諸国の僧侶は托鉢に出た際、金銭を布施として受け取り、これを所有したり、あるいは買い物をしたりすることは認められているが、僧侶が直接金銭に触れることは戒律(ヴィナヤ)で禁じられている。そこで方便として、タイなどでは、僧侶は托鉢する時に手ぬぐいのような布切れ(タイ語で「パー・クラープ」)を頭陀袋に入れておいて、その上に金銭を載せてもらい、そのまま頭陀袋に入れてしまう。そうすれば金銭に触れることなく布施を受け取れるからである。またお釣りをもらうときも同様である。支払いの際には相手に頭陀袋から直接必要な額を出してもらう。間違っても僧侶から多く盗ろうなどと考える不届き者はいない。なお、タイやミャンマーなどでは、僧侶が鉄道、バス、フェリーボートなどの交通機関を利用する際は原則として無料である。さらにはバスやフェリーボートの客室には僧侶用の優先席が設けられている。これは混雑した車内や船内で、うっかり女性の肌に触れて戒律違反を犯すことのないようにするためである。

仏教は「中道」(マッジマ・パティパダー)を教える宗教である。釈尊は「両極端を避けよ」と教えておられる。

「阿堵物」と忌避するのも極端だし、金儲けに貪欲すぎるのもいただけない。拝金主義に走り、人の心さえ金で買えると思う人の姿は浅ましい。我々の日常生活において金銭は必要不可欠なものである。金銭は賢く使いたい。金銭に魅入られるのは禁物である。

ちなみに、仮想通貨は仏教的に言うと「虚仮」(こけ)、つまり実体のないものである。私は仮想通貨などという「砂上の楼閣」に手を出して他人からコケ(虚仮)にされるのは嫌だから手を出すつもりはまったくない。

2018.3.25 Upasaka 亨